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私のいう愛のカタチ

最近とっても自分の中の違和感に敏感になってきて 心の中のことと、書いていることと、していることが微妙にずれていると 夜中に降ってきます。どこから?わからないけど笑。

 

昨日の記事(本当の自分を生きよう)で

 

もっともっと感じながら 自分を愛でていきたいなと感じます。それは 人を大切にしたいから。もっともっと人を大切にできる自分になりたいと感じます。

 

だから 自分に注ぐ!人には注がないです

 

と書いたんですがそれが とっても違和感で。注ぎたいと思っているから。そして実際に注いでいるから。でも エネルギー的には注いでないんです。だから その辺を今日は書こうと思います。

今 ただ在るということを実践しています。その中で気をつけているのは どこにいても 誰といても 360°エネルギーを放射する私で在るということです。

↓360°放射のエネルギーについて

調和の世界のエネルギーの方向は放射

360°放射のエネルギーの正体

私が実践中の調和の在り方

 

人のために何かしたい。誰かに愛を注ぎたい。夫のために、子どものために、親のために、会社のために、お友達のために・・

 

どんなに小さなことでも、とっても大きなことでも、対象がある誰かに何かをするときや なにかの想いを抱く時、必ずそこに意図、目的が生まれます。それは こうなってほしいという願いかもしれないし、こんな私でありたいという在り方から生まれるものかもしれません。

 

どんなに純粋に抱いていると思っていても 対象のあるなにかへ向かうエネルギーは 愛ではないと思っています。この辺は まだうまく伝えられるかわかりませんが おそらくなにかしらのフィードバックや見返りが発生するのだと思います。与えるから与えられる・・ではないけれど 完全に自立していない状態。与えてもらわなくてもいい!だったとしても 自分らしくいてほしい、癒されてほしい、幸せになってほしいだったり・・そこに何か・・

 

 

それはタコ糸、執着の一つの形です。多分。

どうして注ぎたいのか、そこにある根底の深いところに きっとやましさがあります。なにかしらのタコ糸に気づきます。かといって 注がない!!というのも違って、それは二極の反対側へ針が振れただけで 執着には変わりありません。

 

タコ糸の話

 

 

 

対象へ向かう外向きのエネルギーは 自分のエネルギーが枯渇していきます。引き換えに外側の何か(見返りなど)によって 満たされている必要がありますし、それがないとどんどん枯渇していくので 代用での潤いや癒しを常に求めます。闘う世界の闘うエネルギーです。

 

どんな善意でも そう。それは 真の愛ではないし、真の自由でもなく、真の豊かさでもないのだと感じます。

 

真実を生きるとは 本当の自分を生きることです。

本当の自分を生きよう

 

本当の自分を生き始めた人は 外側の何かに振り回されることがなくなります。それは 対象への依存の必要がないからです。外側の何かが自分を幸せにしているのではなくて 自分が自分を生きることで 幸せが巡ることを体感として受けとっていくと 本当の自分の力や神聖さに気づいてきます。

 

自分が自分を幸せにしているし、人も幸せにする。それは自分次第ということに気づきます。なので、その神聖な自分のために 大切な時間を使いたいと願うと思う。純粋に。自分を大切にするからこそ、人も幸せになる。だから より自分を生きたいと願う。そんな感じです。

 

だから 人のために注ぎたいとは思いません。それは 自分に注いだその先に抱いているビジョンでしかありません。

 

どんな感情も生き方も その人がどんなに不幸だ、かわいそうだと感じながら生きていても 苦しんでいても それは幸せのカタチです。そんな幸せを苦しみながら 楽しんでいるのだと 魂レベルで受けとれます。なので 私がなんとかしてあげたいとは思いません。

 

例えば その人がなんとかしたいと願っていたら その人が自分で感じることが一番パワフルだと感じます。そこで私が手を貸すのは 真の愛ではない。優しさでもない。真の信頼ではないと感じます。

 

誰もが無限の可能性を生きていて 素晴らしい力をすでに備えていますから。だから 自分で感じて 自分で立ち上がって 自分で前を向き 自分でビジョンを描き 自分を生きていくのが 本当のその人の幸せであると思います。だからこそ 受けとってもらえる私で在ろうとします。在りたいと願います。そんな私になりたいと強く願うのです。

 

だからこそ 自分に注ぎます。その先に 全ての方の繁栄を願うからこそです。だから いつも自分で在るし、いつも360°愛と感謝のエネルギーを放射できる私で在る。

 

そして その人の可能性を一緒に信じて 共に在ります。

 

それは実際になにをするとかの形ではないかもしれないけど 形を超えた想いをいつも忘れない。だからこそ 朝晩に祈ったり、こうして発信したり、より自分の高みを目指したいと思っています。

 

それが私のいう愛です。人には注がない!ということです。

 

みんなが自分の才能に気づき、それを持って人生を謳歌できるような それぞれがそれぞれの世界を存分に羽ばたけるような そんな力を受けとってもらえるような、私で在りたいと 何かあるたびに決め、揺らいでは決め、そうして今も ゆらぎを大切にしています。

 

揺らいでもいいんです。女は揺れながら 膨らんで大きくなるんだと思います。揺れるほどに それが揺るぎない在り方へとつながっていくのだと感じます。

 

そんな全ての私の在り方から 受けとってもらえるような 私で在りたいです。

 

 

『今ここで 自分であることを歓んで生きること』

『愛する人たちとの関わりを通して 愛を育むこと』

 

この世からの旅立ちに持っていけるものは、分かち合い育みあった愛だけ。あなたの中にある愛を大切な人たちと分かち合い、ありのままのあなたを味わい愛でることができますように。無限に広がる世界を豊かに生きることができますように 願いを込めて。

 

               Sarah