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私の奥深くにある感覚の話

昨日一昨日と 自分の一年の想いを文字にして書いてみようと書いてみたけど すごく違和感があって やっぱり違うなぁ…と アップ出来ずにいました。

が、心を込めて書いたので アップしますね。

こちら1こちら2 です。


毎日、毎瞬 感じている世界を言葉にしようとしても どうしても奥深すぎて 言葉にならなくて 困っちゃうな。って 楽しんでるのかな笑♪

最近 たまにすごく不思議な感覚になります。


前も書いたことあったけど ボーーーーと見物しちゃう感じ。その時はきっと思考が止まってるのかな?


で、それをこうして文字にしようとすると なんか出来ない。なんか違う〜〜ってなる。



今日は  書けるかわからないけど ちょっと書いてみますね♡
朝 子どもたちが学校に行った後 1人で椅子に座って ボーーーと目の前を見てました。
ブンブン回る扇風機や まだ片付けされてないキッチン、紙くずが落ちてる床、足元に寝てる犬たちや扇風機の風に揺れるカーテン。
頬杖をついている手の感触やコーヒーカップを持つ手、椅子に座ってる感触、足のうらの感触。
雨の音、扇風機の音。
はじめは ただボーーーと感じていたんだけど そのうち涙が溢れてきました。それは なんの涙なのか しばらくわかりませんでした。
悲しいわけでもなくて 
幸せだなぁ〜〜って 感じてるわけでもない。
それは 思考とは 違うところからくる感覚。
嬉しくてたまらないんです。
目の前のすべてが 「私」なんですね。
 
そのとき 私自身はいないんです。
私が融けてなくなってて  目の前の世界にただ在るかんじ。
 
 
無造作にかかってるタオルも 私の歓びであり、風に揺れるカーテンの揺れ方さえ 歓喜なんです。
 
 
こうして この物質界にきて ただ純粋に目の前のことが新鮮で面白くて 仕方ない感じかなぁ。
 
 
魂そのものの感覚に繋がっているのかもしれないなぁって思いました。
 
すごい平和で優しい感じなんです!!とかとも また違うんですよね。
 
 
なんというか 本当に魂にとっては 全てのことが歓びでしかないんだなぁって、感じました。それは 涙が出るほど…です。
 
魂の感動の涙なのかもしれないです。私が泣いてるわけじゃないかんじ…
 
 
そんな瞬間瞬間の感動を 私の奥ではきっといつも魂は感じて 過ごしているんだなぁって 感じます。
 
そうして 私たちはたった1つの命をみんなで生きてるって 思いました。それは 人だけじゃなくて 空間にあるすべてで。
 
だから 例えば 前世からのカルマの清算とか、私の使命とは…とか、善悪の考えであったり 行動であったり…。そんなのは もしかしたら ないんじゃないのかなって 。
 
ただただ 魂にとっては どんな時も歓びでしかないから 物質界に来るたびに ただ純粋にそのストーリーを楽しんでるんじゃないかなって 感じました。
 
人は 前世の行いを今世へ繋げたり 過去を未来へ繋げたりしがちだけど それも上っ面で 魂にとってはいつも 今ここの歓喜があるだけなんじゃないかなって。
 
今考えてみるとそんな感覚がしたっていうほうが 正確かも。
 
 
このへんはまだわからないけど
自殺は 頂いた命に対して 絶対してはいけないこと!とか 今世で行った善悪で 魂の階層が決まるとか…
 
そんなの 本当はなんにもないんじゃないかなって 人間の創ったストーリーなんじゃないかなって、そんな… なんとなくの感覚でした。
 
 
 
どこでどんな行いをしたとか
どこに行って こんな経験をしたとか…
 
それも上っ面で
 
魂にとっては どんな当たり前の景色も 毎瞬 毎瞬 歓喜でしかなくて 新鮮で面白くて。
 
それは 例えばお家のトイレに入ることであっても 毎日何度も入るトイレだけど 魂にとってはアミューズメントパークばりに ワックワクなんだろうなぁって そんな感じです笑🙏
 
 
その感覚の時は 頭(思考)が止まってるかなぁ…
で、目の前に普通にあるすべてが 不思議でしょうがない。赤ちゃんが生まれてはじめて いろんなものに触れる時 みたいなかんじかな??
 
思考が止まってるから 物の名前の概念もなくて ぜーんぶただ1つの世界というか 景色。自分さえも景色の一部みたいな…。
 
すっごく不思議で新鮮で楽しいかんじです。
 
ただ思考が止まってるから 振り返ると それが一番ぴったりくる言葉かなってかんじ。
 
その時は 涙です。
なんか 私という存在が融ける涙みたいな…
 
 
本当に不思議だけど きっとそれがタオ道。
なーんにもない。
みんな繋がってる空間が 私。
 
 
面白い。
 
それが本当の私の心の世界。
言葉にならない 世界を生きてる。
 
で、現実と非現実を行ったり来たりしながら いろんなことが繋がって わかっていくのが面白くて どっちが現実で どっちが非現実かも わからないけど、なんか 全部あって 全部面白いなぁって 感じます。
 
 
先日の凧とたこ糸の話をしたけど やっぱり 車のほうがしっくりくるなぁ。
 
 
目的地(願いの先)を決めて そこに向かって 
自分で運転してるのが 有限。(たこ糸)
交通ルールや渋滞とか あとこっちの道がいいとか いろんなことを考えながら 目的地を目指して運転してるかんじ。
 
 
反対に 願いが叶う世界(無限)とは
 
ドライバーさんに任せちゃう。
目的地を伝えて 信頼して お願いねって 任せちゃうから リムジンの窓から 移りゆく世界(今)をただ純粋に楽しんでる。
 
そんなかんじかなぁ。
 
 
そっちの方が ぴったりくるな。
 
 
そして また気づいたのだけど そのリムジンに乗ってる私は とっても謙虚なんです。
 
その謙虚さが すごく意味がある気がします。
 
 
私がドライバー雇ってる!とか
リムジン最高だぜ!とか
こうしてれば いいんでしょ!とか
 
そんな感じではない。
 
景色を感じられる自分であることを楽しんでるというか 自分だけで生きてないかんじ。
 
例えば 目が見えること、耳が聞こえること、匂いを感じられること、肌で感じられること…
身体があること、リムジンに乗れること、服を着てること、呼吸ができること、私を生かしてくれているたくさんの恩恵や大いなる流れの中で 生かされている私である。という私で 座ってる。
 
 
その 謙虚さが あるか、ないか。
 
ふと、それがとっても大切な気がしました♡
 

 

 

『今ここで 自分であることを歓んで生きること』

『愛する人たちとの関わりを通して 愛を育むこと』

 

この世からの旅立ちに持っていけるものは、分かち合い育みあった愛だけ。あなたの中にある愛を大切な人たちと分かち合い、ありのままのあなたを味わい愛でることができますように。無限に広がる世界を豊かに生きることができますように 願いを込めて。

 

               Sarah