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真点で捉えるという視点の大切さ

 

 

昨日の記事の続きです。

 

普段は、今を生きるのが好きで あんまり過去を思い出すことはないのですが

今の自分をより深く知るために 過去を思い出します。

 

そんな私が 福岡でバリバリ看護師として 頑張っていた時の話です。

 

 

♡♡♡

 

 

たくさんの苦しみや涙さえも 豊かさであると今は思います。

 

あの頃はわからなかった彼女たちの世界が今はまた少しわかるようになりました。独りよがりの私の世界も、あの頃はたくさんありました。


だからこそ 今 思うことがあります。


    

 

真に「いのち」を生きること。

に心を入れて 生きるということ。


そして

自分の世界観を大切にすると 相手の世界観も同じように大切にできるようになるということ。

 

    

    


どんな小さなことでも 本人の願いどおりに生きてるってことを大切にしていきたいと思っています。


この世界の全ての人が そうあってほしいな。尊重し合える世界が広がるといいなと思っています。



正解、不正解じゃなくて

真点を大切にしたい!!!



その願いに繋がるお話です。


 

 

 

あの頃の私には、ずっと抱えている不調和がありました。

 

「看護師」としての私 と 本当の私  との不調和です。

 

 

 

思っていることと

やっていることの矛盾。

 

これはとっても大切で 思っていることと、言っていること、やっていることの全てを一致させて生きることは とてもとても大切なことです。そこがズレていると いろんな不調和が生まれてきます。

 

当時の私は 心が不調和すぎて 偏頭痛や肩こり、腰や膝が痛くなったり ・・。身体の調子にも 多くの不調和がありました。

 

 

いつも自分に正直に在る、ということはとても大切なことですね。

     

 

 

そして 本当はどうしたいのか。その願いをただただ大切にすることって、とても大切です。

     

 

 

 

 

 

 

当時、

 

「看護師」としての私 と 本当の私  との不調和が抱えきれなくなった出来事がありました。

 

 

 

 

その患者さんはとても口数の少ない可愛い方でした。自分の命に向き合い、自分を懸命に生きていました。

 

「家に帰りたい」

と願って 頑張って治療を続けていました。

 

私は そんな彼女が お家に帰れたらいいなって 一緒に願っていました。

 

子どもたちが

面会に来ることはありませんでした。

 

きっと「家で」会いたかったのだと 思います。いつもの母として 会いたかったのかもしれませんね。

 

帰ることができる日を楽しみにしていました。


 

 

でも術後の合併症や再発、転移など 状態も悪くなり 歩くこともままならなくなり 入院期間は長くなるばかりでした。

 

 

だけど とても気丈で泣き言なんて言わなかった。

 

 

 当時 現代医療や抗がん剤の 違う側面からも知識を得ていた私は  看護師として自分のしていることが果たしてどうなのかと考えるようになっていました。劇薬である抗がん剤を患者さんの体に流すことは 通常業務の一つでした。


 

患者さんの体力が限界だと感じても

 

これを身体に入れると もう家に帰れなくなるかもしれないと感じたとしても・・

 

薬剤を身体に流さなければなりません。

 

 

 

必ず事前に 検査結果や病態をふまえ 患者さんにきちんと医師が説明があります。

 

 

そして 彼女は同意をしていました。

 

私が感じたのは 

勝手な1人の私情でしかありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ランドセルを背負って 

病院に駆けつけた子どもたち。

 

長い入院生活で 子どもたちが来たのは 

それが最初で最後でした。

 

 

そして彼女は 天へ還って逝きました。

 

 

 

私は 私としてもっとできることがあったのではないかと、自分の看護師という仕事を疑いました。


悲しくて 苦しくて 

あれからずっと自分を責めて生きていました。


彼女の願いを叶えたかったから。

叶えられなかったから。


彼女が彼女の望むように 

生きられるように 関わりたかったのです。



今考えると、私が看護師という枠の中で 自分の在り方を業務や仕事のせいにしていただけでした。

 

きっと もっと自分を生きることを彼女が教えてくれたのかもしれません。

 


自分を偽らず ありのままの私として ありのままの相手を尊重するということ。どんなことでも どんな時でも 心の在り方でそれは可能なのだということ 今はわかるようになりました。


それは 3年近い月日があって 繋がりました。自分のことは自分ではなかなか気づかない。



自分の心の闇を 原動力に変えていく生き方。すべての経験を自分の中に生かしていく生き方。



やっぱり人生のすべてのピースと調和していくことは とっても大切だと思います。

 

 

その後 私は 宮古島に導かれました。

 

 

宮古島では 島を車で周り 家へ訪ねて 看護を行う 訪問看護師をしていました。 

 

訪問看護師をはじめてから 私は「お看取りする」ときに感じる温かなエネルギーの存在に気づきはじめました。息を引き取った瞬間に フワーとお部屋全体がその温かなエネルギーに包まれます。

 

 

 

それは きっと愛のエネルギー

そんなきっと当たり前に在るなにか・・に気づかせていただきました。

 

ここにも書きました↓

ありがたい空間

 

だから 生きている今も 私たちの中には温かな揺るぎないエネルギーがいつもあるのだと思います。

 

 

当時は あまり分からなかったけど 今になっていろんなことが繋がってきます。

 

たくさんの方々に 大切なことを教えていただきました。

それを大切にして、生きています。

 

 

ただそんな事実があった。そこで 自分はこう感じた。というのがとても大切で、そこに正解も不正解もないのだと 今は思います。そして、医療とは・・看護師とは・・たくさんたくさん考えて 模索して・・正解を求めていた私も 大切な私です。

 

 

過去を美化するでもなく、否定するのでもなく ただそんなことがあった、という事実と その事実が当時の自分の目には こんな風に映っていた。ということをまっすぐに見て知ることはとっても大切です。


真点を捉える。

 

そして その全てを抱きしめる。受け容れる。私の一部にする。

 

 

 

幼い頃のトラウマも、当時の頑張っていた、苦しかった自分をもう一度見て、感じてあげること。頑張ったねと、辛かったねとわかってあげること。そして できればその事実のみをもう一度見て 今の自分として感じてあげること。

 

そして 今に生かせると きっと何より自分が歓びますね。

 

 

 

 

全ては 大切なピースであったと

それも私であると受け容れることは 今の自分にとても優しい在り方です。

 

 

嫌いな自分のまま 受け容れる。

許せない自分のまま 受け容れる。

後悔した自分のまま 受け容れる。

もっとこんな人生だったらよかったのにと感じる自分のまま 受け容れる。

 

 

受け容れたくないと思っているままで 受け容れてあげる。

 

 

そして そこで感じることをそのまま感じてあげること。

そこで感じることを 大切にしてあげること。

 

 

人にしてほしいように 自分にしてあげること。

自分だけでも 自分をわかってあげること。

 

感じるままに感じることを許してあげるのは とても勇気がいることだけど ぜひタイミングがくれば 自分により優しくなるためにしてあげてください。自分に優しく生きるために、今をより自分らしく生きるために。 

 

 


 

 


何がいい、何が悪いではなくて。

正解不正解ではなくて。


真点で 世界を捉える。



真点で 自分を生きる。



今に心を入れて 真点で生きること。

 

感じたことや受けとったことを

自分に優しい形に変えて

受け容れて 自分の中に生かしていく。

 

そしたら 必ず外側の世界にも反映します。



 

いつも自分に優しくありたいな。そんな在り方を伝えていけたらいいな、と思っています。

  

     

 

それが 私が彼女とともに在るということで、彼女にもらったものを私の中でも 生かしていくということなのだと思っています。全てのピースを、全ての経験から感じたことを 今の私に生かしていきていきたいな。

 

そんな風に今に心を入れて 丁寧に生きていきたいと思って いつも生きています。

 

私は 大好きな看護師としてのお仕事を通して たくさん感じて たくさん学びました。

 

とても深い 「命と向き合う」ということを生き様と通して 魅せてくれた大好きな彼女たちを忘れたことはありません。それだけではなく 病気と向き合い 病気とともに生きている方、それを支えている方、私が関わってきた全ての方にたくさんの命の輝きを 生き様として教えていただきました。

 

病気というその部分だけにフォーカスするのではなくて 病気の方としてその方を見るのではなくて その方の一部として病気があるという捉え方が やっぱり私は好きです。

 

全てのご縁に感謝しています。

 

 

それを 私の生き方に生かして 生き様で「大切な何か 」を伝えていけたらいいなと思っています。

 

 

 

 

何ができるかとか、何を持っているかとか、どれだけ生きたとか、病気だからとか、幾つだからとか、どんな生き方をしてきた人だからとか、命をどう扱っているかとか  心の善悪や 人間的にどんなだとか、そんなことではない 上っ面のその奥にある「大切な何か」

 

もっともっと揺るぎない何か。

 

 

 

カウアイ島に行った時に 

初めて大自然と繋がった感覚がしました。

 

それは 私たちは

もともと大自然の一部だったのだと思い出した感じでした。

 

大自然は あるがままにそこにあって 

そのあるがままに

包まれているように感じました。

 

自然が教えてくれること

太陽は沈んでは また昇ります。

 

月は満ち欠けを繰り返します。

 

地上で どんなに 大災害が起こっていても 

雲の上には いつも変わらず

太陽が輝いているように

 

マグマで埋まった真っ黒な大地から

新芽が生えてくるように

 

満開の桜  新緑 紅葉 雪が積もる木々 

四季折々の景色が毎年巡るように

 

 

全てのものは そうやって豊かに巡っているのだなと受け入れられるようになりました。

 

 

私たちも ただただ そんな大自然の一部であるのだということ。

 

 

 

そんな巡りの中で ただ生かされている。

 

その全ては繋がっているということ。

一人一人が 「自分と自分の世界」を ただ生きているということ。

 

だからこそ 今をどう生きるかを自分で感じて 決めていけばいい。

 

 

 

 

 

死とは 新たな世界に生まれるということ

病とは 魂の生き様

 

 

 

何もないとは ずっと在るということ

 

 

 

     空

 

 

 

 

患者さんたちが教えてくれた 受容の段階と 私が感じる 凪が重なり つながる。

 

 

今を生きるということがどういうことなのか。

 

大切なことは 今に魂を入れて生きるということ。

 

そして より一層 自分を生きていくということ。

どんな自分でも そのままの自分と人生を ただ受け容れて 自分の内側を調和し、より豊かに拡張していく生き方。

 

外側の自分にとらわれることなく 自分の魂を濁すことなく 今に在るということ。

 

 

 

 そんなことが自分の中で繋がり 涙が溢れました。私だから 伝えていけることやその世界観を これからも大切にしていこうと思います。

 

 

まだまだ漠然としているのだけれど

 

あとどれだけ生きられるから、とか。

いつ死ぬかわからないからとか。

私はこんな身体だからとか、病気だからとか。

私は今のところ元気だから それまではこうしたいとか。

 

 

なんか そんなものの向こう側に もっともっと大切なことが ある気がします。

 

 

なんというか・・

死は 死ではなくて 新たなる生だから 素晴らしいことなんだよ。

だから 感じ方を変えよう!とか そんなんともまた違います。

 

 

  


私は 「ずーーっと在る私」として、にいるのが好きだなと思います。



無限の時の中で ずーーっと巡っている命として 今この時に魂を入れて 物質界を存分に感じながら 楽しむという感じが ますます自分に優しくて 好きです。



自分とも 周りのすべてとも 調和して 

今に在る生き方。

 



まだ うまく言語化できないけど

 

どちらかではない、という世界。

 

生か、死か、じゃない。

どちらでもある。

 

どちらも 豊かさ。

 

 


全てに調和して ただ在る。



 

しばらくグレーのまま持っておいて 言語化できるようになったら また 私なりに書いてみようと思います。

 

 

 

 

『今ここで 自分であることを歓んで生きること』

『愛する人たちとの関わりを通して 愛を育むこと』

 

この世からの旅立ちに持っていけるものは、分かち合い育みあった愛だけ。あなたの中にある愛を大切な人たちと分かち合い、ありのままのあなたを味わい愛でることができますように。無限に広がる世界を豊かに生きることができますように 願いを込めて。

 

               Sarah