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「いのち」を生きる ということ



夜中にふと目が覚めました。


 

夜は潜在意識と顕在意識が交差するからか 私はふと何かとつながったり 魂からのメッセージを受け取ることが多くなります。

 


 

しばらく天井を眺めていました。

最近の私(心の奥の凪が教えてくれるもの)は何かに似ているなと思いました。

 

 

飽和した感じ。なんだろう・・

 

 

 

 

繋がった瞬間 涙が溢れた。

 

 

手を合わせて

 

「ありがとう ありがとう ありがとう」

 

と 宙に向かってなんども言いました。

 

生き様で大切なことを教えてくれた彼女たちへの感謝が溢れました。

 



私は 看護師です。


祖母も 母も看護師で 私も導かれるように 看護師になりました。


 

 

初めに配属されたのは 手術部でした。


 

急性期、

バリバリかっこいい先輩方、

もっとできる看護師になりたい

 

と主に技術を磨くことや実績、資格など

 

形として より優秀な看護師になれるように 家事や育児をこなしながらも 前向きに楽しく やりがいとともに12年ほど働いた頃でした。

 

まもなく33歳という 2011年2月より

私は看護師人生で初めての病棟勤務をすることになりました。

 

 

 

配属されたのは 婦人科病棟。

子宮や卵巣などの女性特有の病気に特化した病棟です。

 

患者さんの病態にあわせて

手術療法、化学療法、放射線療法の主に3つの治療法の組み合わせと様々な検査、それぞれの症状に合わせて 内科や外科的な処置や治療も併用し 大学病院としての最先端の治療を行う場でした。

 

はじめに教わったのは

「入退院を繰り返す患者さんが多いから だんだん顔見知りのようになる。患者さんと看護師の一線を越えないように 丁寧に失礼のない範囲で信頼関係を築くように・・」ということでした。

 

その言葉の通り およそ4週間おきの化学療法のために定期的に入退院を繰り返す患者さんが多く 自然と深く患者さん方を知る機会を与えられました。

 

 

多くの方は 余命を宣告された時、

人生で初めて 「死」「命」と 向き合いはじめます。

 

 

 

性格や年齢や状況、生きてきた環境など背景により 命との向き合い方は様々です。

 

技術的なことや病態はもちろんですが

心の中は本人にしかわからない

 

神聖な領域』です。

 

一人一人の神聖な領域を、

聞こえない心の声を、

細やかな心の世界を、

懸命に感じながら

看護師としての私を可能な限り尽くすことは 今までとは全く違う「未知なる領域」でした。

 

 

 

命の尊さは 誰もが同じですが、

婦人科疾患では 比較的若い方が多く 20代、30代のかたも多くいらっしゃいました。

 

出産に関わる検査で病気が発見された方など 幼い子を抱える方も多くいて  健康な私には計り知れない彼女たちの世界がそこにはありました。

 

キュブラー ロスの 死の受容プロセス というのを ご存知でしょうか。

 

こちらがわかりやすかったので 載せておきます。

 

 

「死の受容」プロセス(5段階モデル)


第1段階:否認と孤立(denial & isolation)

自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。「なにかの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。

 

第2段階:怒り(anger)

自分が死ぬという事実は認識できた。しかし「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。ケースによっては、看護師などに対して「あなたはいいね、まだまだ生きられて」といった皮肉のような発言をすることもある。根底にはやはり「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。

 

第3段階:取り引き(bargaining)

信仰心がなくても、神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。死ぬことはわかったが、もう少しまってほしい。財産を寄付したり、これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避することができないか、模索する。はじめは「死を遠ざけてほしい」という願いが「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。

 

第4段階:抑うつ(depression)

「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」というように、自分なりに神や仏に祈っても、死の回避ができないことを悟る段階。悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。頭で理解していた死が、感情的にも理解できるようになる。神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。

 

第5段階:受容(acceptance)

それまでは、死を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。自分の人生の終わりを、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。

 

 

 

絶対この順番というわけではありませんが

それぞれに 自分の命そのものに向き合って 生きはじめます。

 

はじめは なにか私が彼女たちにできることはないかと悩んだり 考えたりしていましたが 本当は私のほうがたくさんのものを彼女たちから受けとっていました。

 

 

私が何をしようと何もしなくても

彼女たちは 自分の魂の導きに沿って

自分を生きていました。

 

「生きること」を魅せていただきました。

 

 

足るを知る

大切な出会い

 



彼女たちに出会って 私の中で大きく人生観が変わりました。

 

 

生きたい自分を生きる。

 

自分の内なる声に従って生きる。

 

やりたいことはやってみる。

 

言いたいことも言ってみる。

 

自分の心に 嘘はつかない。

 

 

そんな人生観を 私は彼女たちから受けとりました。それを大切に生きています。

 

健康って なんでしょうね。

病気って なんでしょう。

 

私は 健康でも 病気でも 幸せには関係ないと思っています。病気の人としてその方をとらえるのではなくて、その方の一部として 病気があるという捉え方をします。




すべては 自分という人生を

自分という人間を

自分という生き方を


自分がどう捉えているか。



そして 与えられた時を

どう生きているか、しかないと思います。



可哀想な人なんて やっぱりいないのではないかなと思います。


自分が自分の世界をどう捉えているか、他人には測れないその方の世界があるものです。

 


その世界を 私も大切にしたいと思います。



見えないけど、感じることで その世界を大切にできる人でありたい。



当時、命と向き合う現場で その見えない、感じることでしかわからない世界を 手探りで大切にしようと もがく私の世界がありました。

(別記事にしますね)



だからこそ 今繋がってきているたくさんの思いを 自分を生きたいと願う人たちに 届けられるといいなと思います。


魂は 生まれたくて生まれてきました。

 

だから どんな人生だと思っていても

最悪だと嘆いても

 

魂は いつも輝いて喜んでる。

 

この物質界で 生きている歓びに溢れてる。

 

 

だから みんなみんな 

もうすでに 幸せなんです。

 

それを感じられているかいないか。



 

病気になると 心を大きく揺さぶられるから 当たり前の今にあって いままで気づかなかった自分の中の魂の眩しいほどの輝きの存在に気づくだけ。

 

 


それは 昔からずーーーっと在ったもの。

 

 





だから なにかをしなければ 感じられないとかそんなものではないのかもしれません。

 


息をしているだけで 感じられる人もいれば 優雅にやりたいように生きていても 感じられない人には感じられないのかもしれない。

 




でも 感じたいと思えば 必ず感じられるもの。


だって 今も いつも 

あなたの中に在るものだから。


あなたそのものだから。

 



 

そのままでいい。

好きに生きていい。

 

あなたは 

昔も 今も これからも 


いつも幸せです。

 


 

幸せとは とてもとてもシンプルなもの♡

 

 

 

 

きっとそこに気づくことが 


幸せ ということ。


 

『自分の命を生きる』


ということなのだと思います。



つづく

 

 

『今ここで 自分であることを歓んで生きること』

『愛する人たちとの関わりを通して 愛を育むこと』

 

この世からの旅立ちに持っていけるものは、分かち合い育みあった愛だけ。あなたの中にある愛を大切な人たちと分かち合い、ありのままのあなたを味わい愛でることができますように。無限に広がる世界を豊かに生きることができますように 願いを込めて。

 

               Sarah